自分は山に1人で入るのが好きだ。全てを自分で決めて、全ての責任を自分で負うという自由が好きだから。
1人で山に入っていても、なんらかの事態(問題)は発生する。自然と自分という関係がそこに在り、その関係から事態が発生する。自然は時に優しく、時に厳しく、事態を生み出す。その事態との関わりの中で、より深く関係を持ち、理解を深めることができるという。
この事態においての関わり方について生成効果(苦労したほうが理解が深まる)をあげ、著者が最新のテクノロジーを使った冒険と、すべてを手作業で進めていく冒険とを比較し、何がどう違い、何が冒険者に残るのかを詳細に説明している。
山との関係もさまざまだ。わかりきった明確な道を一瞬でかけ抜けていくより、地図を持ち、地形を探りながら、藪をこぎながら前へ進んだほうがその場所の自然との関係は深まる。尾根、谷、水の流れの動き、植生の構成、太陽の位置。さまざまな視点で考え、自然を理解しようとし、現在地、次の目的地を探りながら進んだ時。また現地の魚をつってその日の夕食にしたい。登山道と渓流の位置関係を確認しながら、どうやって川に降りるべきかを考えながら進む。渓流沿いでは、どこに魚がいそうか、どこなら竿がふれそうか、野営地はどこにすべきか、生活の全てを考えながら進む。そういった関係を持つ山行こそ、自分と自然との関係が深く作られていく。そして自分自身の世界も深く、豊かなものになっていく。
テクノロジーや道具に頼りきってしまうと、関係が弱まり、理解の深まりが弱まり、つまらないものになってしまう。生成効果としては苦労したほうが理解が深まる、と言うのが著者の主張だ。これについてはGPSの利用やカーナビの利用をあげている。その現地との自然との関係の中で、考え、知恵を絞り出し、自身の手で解決策を探り、事態を乗り越える。そしてまたそこから新しい機会=先に説明した思いつきが生まれてくると言うわけだ。
何度も南アルプスに足を運んでいた。ただ目的地到達ありきで前へ前へと進んでいた。が、一方では気づいていた、自分はこの場所をもっと知りたい、もっと楽しみたいと。今年は時間ができたので、釣りメインの山行に今年は行ってみた。楽しかった。もっと深くこの南アルプスという場所、自然と関わってみたいと思った。思いつきだ。
実はそういった思いつきはたくさんある。歩いて徒歩2分の裏山。全てのルートを歩いてみたい、藪も漕いでみたい。動物を探したい、植物を知りたい。いて5分の逗子海岸もそうだ。もっと泳いでみたい、海の底がどうなっているのか知ってみたい。もっと深く、もっと深く関わりたい。
全部思いつき。でもそれでいいんだなって思った。楽しいし、やりたいと思うし、それがここまで自分を連れてきてくれたから。
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