新・冒険論 冒険する?しない?

冒険とはなんぞや?について、追っかけ期間が続いております。

著者は極夜行という本屋大賞でノンフィクション本大賞を獲得した人らしい。が、そういった事前知識はなしで読み始めた。

新・冒険論 (インターナショナル新書)

新・冒険論 (インターナショナル新書)

 

最初1-4章までは想像していたより小難しい雰囲気で読みにくいなと思っていたが最終章で開花。最高に面白い本だということに気づき、また1章から読み直してしまった。

冒険とは命の危険を冒しながら、主体的に自由に動き、既存システムから脱すること(誰もやったことがないことをやること)。冒険の価値とは、冒険者にとってはシステムの外から見える風景を楽しむこと、また冒険の自由を楽しむこと。また冒険者によって発信された情報を周りが知ることで、周りも社会のシステムの現状、限界をしることができる。ということらしい。

また現代の冒険の事例なども詳しく紹介されていて、ちょっと前に疑問に思っていた以下についても理解を深めることができたと思う。

が、彼らのいうような冒険、時に命すら落としかねないようなリスクを含んだ冒険をしたことがあるだろうか?する必要があるだろうか?

それを行った時、行うと決めた時、行った後、どういった感情が自分に芽生え、どういった自分がそこにあるんだろうか。

www.the-mountains-are-calling.com

 

さて、そして同じ質問を繰り返してみる。

これまで、これからも、命の危険を冒してまでシステムの内側から外に出て行くような冒険を経験したことがあるだろうか?するだろうか?

そして同じ答えを繰り返してみる。

多分ない。

 

TJARはどうだろう?
これはゴールありきのあくまでスポーツだ。命の危険は多少あるが、これまでのルートをなぞって地点としてのゴールを目指す。今や回数を重ね、スピード勝負的なものになったスポーツ。各人の挑戦もあったりするが、あくまでシステム内で完結するものだ。
 
じゃあ、凡人である自分が冒険すべきなのか?そういうことではないと思う。(著者もこんなろくでもないことはやらない方がいいとものべているww。)冒険者による冒険を正しく理解し学ぶこと。これにより既存の社会システムや価値観に対して、自分自身のより鋭く多角度から考えを持つことができるんじゃないかと思う。また冒険はしないけど、自分なりの挑戦は続ける。命をかけるだけのリスクはないにしろ、既存システムにとらわれることなく、自分で考え、自分で行動しつづけることで、自分自身がそこから見えるものがある。またそこから見えるものがあるんだということを周りに伝える。そういったことはできるのではないだろうかとは思う。

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